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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

滑子壁

   滑子壁

左官の孫八は東中島屋の蔵の壁を押さえた。

 孫八は七歳で親方に弟子入りした。土を運び通し網でより分け水を入れて足で踏んで練り桶に入れて親方の手元へ滑子壁

持って行く・・・そんな仕事が十年過ぎて、ようやく一人前の左官になった。
 親方の薦めでとめという女を嫁に取ったが、子供を産むことなくあっけなく逝った。
 孫八は自らの不幸をいやすために酒におぼれた。
「おめいがそんなに落ち込んでいたら、亡くなった者も行くところへいけないだろうぜ」
 親方はそう言って次の嫁をすすめた。
「ありがとうございますが・・・もう・・・望んではおりません」
「悪いことばかりが続くというもんではねえよ」
「なんで・・・」
 孫八の母も幼い頃あっさりと逝っていた。父は飲んだくれで川に落ちて亡くなっていた。
「なんででしょうね・・・俺は身内に縁が薄いのだ」
 孫八はうなり声のような言葉をはいた。
「おめいの腕がおしいから・・・今のままじゃ・・・死んだ者が泣くぜ」
「親方・・・後少し時間をいただけませんか・・・」
「それはかまをねえが・・・」
「もう少し気ままに暮らして・・・不憫な俺を眺めてみて・・・」
 二ヶ月が過ぎた頃、孫八が親方を訪ねてきて、
「すいませんでした・・・何もかも前の世の因果・・・そう気づきました」
「そんなに責めてはいけないよ」
「頼みがあります・・・前借りをお願いしたいと・・・」
「前借り?・・・借財でも・・・」
「いいえ、親父とお袋、それにとめの墓を建ててやりたいと・・・」
「そうかい・・・それはいい・・・立ち直ってくれたんならお安いことだ」
 孫八は墓を建て毎日のように参った。仕事も前より精を出すようになったのだった。
 孫八に少しかげりが見えるのはそんな謂われがあった。 
 
東中島屋は大橋武右衛門の中島屋分家として、児島屋の大原与平の西となりに建てられた。児島屋に負けないくらいの威容であった。蔵は汐入川に面して六棟建てられていた。
主人は大橋敬之助といった。子供のいなかった武右衛門は敬之助を養子にとって、先年もらった養女のおけいと夫婦にし、東中島屋として分家独立させたのであった。
分家したとき敬之助は二十八才と言う説があるがもっと若かったという説をとりたい。おけいは十数才であったろう。
仲睦まじい夫婦だった。仕事熱心で村人の面倒をよく見るから信望も厚かった。剣もなかなかの腕であった。それというのも津山から井汲唯一を招いて習っていた。
播磨の大庄屋大谷家の嫡子として生まれた敬之助こと敬吉は幼いころから剣を井汲に習っていた。永代名字帯刀の家に生まれた敬吉はそれが当たり前のように習い、学問も修めた。
播磨の大谷家に生まれた敬吉がどうして倉子城の大橋家へ・・・それは長い話になるがここに簡単に書いておかなくてはならないだろう。
大谷家の嫡子として大庄屋の後を継ぐべく大きくなった敬吉が十六歳のとき、小作と代官の中で争いが起こりそれを仲裁したばっかりに庄屋見習いを取り上げられ、作州の大庄屋立石家へ身を寄せなくてはならなくなった。立石は母の出所であった。そこで二十二迄過ごした。そして、親類である備中は倉子城の大橋家へ養子として迎えられることになる。人の行く道は奇である。
敬之助はおけいとの間に三人の子をなした。               

孫八が足場の上で器用に瓦と瓦を漆喰で繋ぎ滑子壁を仕上げていたのを見上
げていたのはここの主になる敬之助であった。
「ご苦労さん、うまいものだ。大した腕だね」と敬之助は言葉を投げた。商家の主には見えずがっしりとした体躯であった。羽織袴を着て脇差しを帯刀していた。
「どうも、ありがとう様で・・・」
 孫八はそう言って小さく頭を下げた。言葉を返しても手は休めていなかった。
「中島屋は良い養子をもらいんさった」
「頭も切れるし腕もなかなかであるらしい」
「血筋がええの、立ち振る舞いに気品がある」
 孫八はそんな村の噂を聞いていたのだ。逢うのは初めてであった。目が澄んでいた。意志の強そうな顔であった。
「出来ているね」
 声が孫八の耳に届いた。敬之助に誰かが声をかけたらしい。
「これは林様・・・」
「倉子城に根をおろすことになりますな」
「この村で商人として・・・」
「見にくい争いに目を瞑ることが出来ますかな」
「今までいろいろと・・・」
「商人は金儲けとなると何でもするものですからな」
「それは・・・少しずつその色に染まりましょうか・・・」
「あなたに出来ますかな」
「あの瓦も漆喰に馴染んでいます・・・」
「薬糞蝿・・・金が金を生んでいくのが楽しくてしょうがないそんな商人の生き方がいずれ身につきましょうな」
「そんなものですかね・・・」
「なんと立派な作事ですな・・・ではごめんなさいよ」
 会話が終わったらしい。孫八の耳にそこで声が届かなくなった。
「少し休んだらどうです」
 孫八への呼びかけだった。一段落して足場をおりていった。
「あと何日くらいかかります」
 敬之助は足場丸太を積み上げた上に無造作に座っていた。
「さあ・・・六日ってところでしょうか」
 孫八は庭石に腰を落として言った。
「そうですか・・・食べますか・・・」
 敬之助は懐から紙に包んだこんぺい糖を取り出してすすめた。
「こんな高価なものを・・・いただいてもいいんで・・・」
「一つ食べれば二つ食べたくなり・・・止められなくなりますが」
 孫八は一つ口にほおばった。口の中に甘さが広がった。こんなお菓子があったのかと思った。
「残りは女将さんかお子さんに持って帰ればいい」
「あいにくそんな贅沢なものはおりません」
「なぜ・・・」
「かかぁは一人もガキを産まずにあの世へ参りました」
「わるかったね・・・いらぬことを言ったようで・・・忘れてください」
「これも前の世の因果・・・幸せにはなれない質のようでございます」
「そんなこともありますまい・・・精を出していれば・・・」
「土をこね塗ることしか能のない者に・・・お天道様は顔を背けて登ります・・・」
「だけど、あなたの仕事は残りますよ」
「こんな私でも手を抜いた仕事はしたことがありません・・・残ろうが残るまいが」
「そうですか・・・残ろうが残るまいが・・・いい話を聞かせてもらいました」
 孫八の口の中にはこんぺい糖の甘さが広がりひととき浮き世の苦しみを忘れさせてくれていた。

 敬之助が後にこの村をひっくり返すような事件に遭遇するのだが・・・。
 敬之助が立石孫一郎となり長州元奇兵隊士百五十名をつれて代官所を焼き討ちするという事件を起こすのだが・・・。同じことをした天誅組は明治になって贈位されたが、立石以下元奇兵隊士たちは歴史のなかにも残っていない。
 敬之助の思いのなかに「残ろうが残るまいが・・・」という孫八の言葉があったことを孫八は知らない。
 
 こんぺい糖のことを甚平は孫八の髪を整えているとき聞いた。甘さは一時は口の中に残るがすぐに消えてなくなる・・・人の世も同じ繰り返しであることを嘉平は思った。
 
今、滑子壁は孫八が生きた証として現存していて倉敷の観光に一役買っている。孫八の東中島屋の滑子壁は現存しないが・・・。

     


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